宿題だけが勉強じゃない!興味のあることから勉強の楽しさを知っていこう!

 

こんにちは。最近、宿題は無駄なのではないか?という研究結果を発表した論文や、実際に宿題を生徒に課さない公立中学校が話題になっています。

宿題が本当に無駄なことかどうかはさておいても、実際には宿題や課題などの提出が内申に影響を与えるという側面から全くやらないということは現実的ではないでしょう。

しかし、宿題だけが勉強のすべてではないのだなぁということを最近しみじみ思います。

博士ちゃん

突然ですが「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」というTV番組が好きで楽しみに観ています。小学生から中学生くらいの子供が小さな「博士ちゃん」としてそれぞれの夢中になっている事柄に関して大人顔負けの知識を披露する番組なのですが、その幼いながらも彼らの知的好奇心の高さには思わず舌を巻いてしまいます。

未利用魚(商品価値がなくほとんど市場に出回らない魚)に関する博士ちゃんや仏像に関心を持つ博士ちゃんなど、様々な子供たちがいるわけですが、彼らは必ずしも学校の授業と通してそれらを勉強しようと思ったわけではないということが印象に残っていますね。

宿題が勉強のすべてではない

宿題や学校の授業が勉強のすべてではないですし、普段の遊びの中にも勉強につながる部分は多く存在しているのではないでしょうか。また逆に学校の勉強も、卒業したらもう関係ないとなるものでもありません。

映画監督の北野武氏は

「学校の勉強なんて社会に出てから役に立たないじゃないですか」という高校生の問いに対して

「勉強を教科の範囲内としてしかとらえられないなら相当頭悪いよ、哲学や論理的思考を養って人生を楽しむ応用が利くように、あえて国語や数学って形でパッケージして教えてるんだよ。それを理解しようとせずに、中身を知ろうとせずに袋詰めのまま『役に立たない』ってゴミ箱に捨てちゃうなら、そりゃ時間の無駄だし人生の無駄だよ」

と答えています。これは学校で教える勉強の内容を「教科」としてとらえるのではなく、もっと広い視野で人生に役立つものだという文脈での発言ですね。

学ぶことの楽しさ

学ぶことの楽しさとは、「自分のモノの観方」が増えていくことで得られる豊かさにあるのではないでしょうか。

これは学力とは別の勉強のメリットの一つ。

例えば、ピカソがなぜ凄いのか。そう、ピカソの名前は誰でも知っているのに、その彼の凄さをきちんと説明できる人は何人いるでしょうか。

もっとあります。たとえば社会や国語で習う作家。本来は作家の名前と著作のタイトルを覚えることではなく、彼らの文学を味わい、その素晴らしさを知ることの方が人生は豊かになります。その意味で言えば教科書はその案内役に過ぎないのです。しかし、ほとんどの人がその案内役の手招きを無視してしまいますよね。

案内役は教科書の中にだけ存在するわけではありません。映画や音楽、さまざまなものの中にその案内役は潜んでいます。

例「バック・トゥ・ザ・フューチャー」

例えば、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』。

80年代に大ヒットした名作SF映画と呼ぶべきものですが、時代背景を知るとより深くこの作品を楽しむことができます。

この映画で主人公マーティの憧れの車として登場するのがトヨタのハイラックス。

この当時、日本企業の勢いが非常に強かった時代で、日米の貿易摩擦でアメリカはひどい赤字にあえいでいました。加えて日本の企業によるアメリカの企業買収も盛んになり、今では考えられないことですが、ソニーによるコロムビア映画買収や三菱地所によるロックフェラー・センターを所有するロックフェラーグループ(RGI)の買収などが行われ、『日本脅威論』がアメリカで叫ばれるほどでした。(余談ですが、同時代の映画「ダイ・ハード』の舞台も日系企業の所有するナカトミ・ビル。ここにも当時の世相が現れています。)

そんな中で冴えない一家のマーティ家の設定は当時のアメリカ自身であったとも言えます。

この当時のアメリカの大統領はロナルド・レーガン。レーガンは老齢ながらも「古き良きアメリカ」への回帰を掲げて大統領に選出されたわけですが、その「古き良きアメリカ」が示すのは1950年代のアメリカなのでした。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でマーティがタイムスリップする先も1950年代。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が楽しいSF映画の裏で「古き良きアメリカ」への回帰を熱望した実は保守性の強いテーマの作品であることがわかります。

勉強する意味

勉強することはもちろん学校で成績を上げるためや志望校に合格するためという意味でももちろん大切です。

しかし、それだけだと勉強の楽しさを本当に知っているとは言えないでしょう。

勉強には人生を豊かにするという側面もあります。

勉強=学校や塾から課せられるもの、と思い込んでいてはなかなかそこには気づけないかもしれません。

勉強をもっと自由に捉えて、勉強の楽しさに気づいてほしいと思います。